長崎バスジャック事件犯人がバスジャック史上唯一射殺された背景にあった世界規模のハイジャック事件とは!?


長崎バスジャック事件が起こった経緯と

犯人射殺の背景にスポットを当ててみました。

 

1977年10月15日に起こった長崎バスジャック事件が

「奇跡体験!アンビリーバボー」で紹介されます。

 

新左翼系団体・赤軍を名乗る長崎バスジャック事件の犯人の要求は

30人前の寿司やコーラなど不可解なものばかり・・・

 

実はこの長崎バスジャック事件の犯人は、

このバスジャック事件が発生したわずか17日前に起こった

国際規模の大きなハイジャック事件の模倣犯でした。

 

また、この長崎バスジャック事件の主犯格の犯人は

実は国内人質事件でわずか3人しかいない射殺例です。

 

バスジャック史上において射殺された犯人は

後にも先にも長崎バスジャック事件の犯人のみ。

 

そこにはある理由がありました。

 

長崎バスジャック事件の犯人が模倣した

17日前に起こった世界規模のハイジャック事件、

日本警察が長崎バスジャック事件の犯人射殺に踏み切った理由など、

長崎バスジャック事件の背景にあった衝撃の事件背景に迫ります。

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長崎バスジャック事件犯人が模倣した事件と警察が犯人射殺に踏み切った理由は共通していた!

スクリーンショット 2016-02-10 16.55.13

出典:YouTube

1977年10月15日午前、

長崎県平戸発佐世保・大村経由長崎駅前行きの西肥自動車の路線バスが

武装した2組の男に乗っ取られるというバスジャック事件が発生しました。

 

路線バスといえども、かなりの長距離区間を走るこのバスには

犯人たちがバスジャックした時点でほとんど燃料が残っていなかったことから、

バスは長崎駅前のガソリンスタンドに立ち寄ります。

 

ガソリンスタンドの店員の通報で駆けつけた警察が

バスのエンジンスターターを動作しない措置をとったため、

走行不能になったバスはガソリンスタンド内で立ち往生。

 

警察に取り囲まれることになりますが、

バスジャック犯人たちはそのまま乗客16人を人質に立てこもりました。

 

「阿蘇連合赤軍」を名乗るバスジャック犯人たちが

人質5人の解放と引き換えに要求したものは

寿司・コーラ30人前に毛布50枚。

 

3人の政治家を名指しし、

それらの政治家を連れてこなければ交渉には応じないと主張します。

 

ご存知、赤軍は左翼系のテロ組織。

それにもかかわらず、この犯人たちが連れて来いと要求した

右翼的な論評の目立つ保守派評論家のことを「先生」と呼ぶなど、

思想的に考えて辻褄の合わない言動が目立ったのです。

 

結局、バスジャック発生から18時間後の16日午前4時、

人質の体力が限界に達したとして突入隊が一斉にバス車内に突入。

 

主犯格の31歳の犯人は射殺され、重傷を負ったもう一人の39歳の犯人は逮捕、

人質16人全員が無事救出されました。

 

実は、日本国内で起きた人質事件で、

犯人が射殺されることによって解決されたのは以下の3例のみでした。

 

瀬戸内シージャック(1970年5月)犯人:川藤展久

長崎バスジャック事件(1977年10月)犯人:川崎久之

三菱銀行人質事件(1980年1月)犯人:梅川昭美

出典:http://d.hatena.ne.jp/sazangakyu/20100513/1277112112

赤軍を名乗った長崎バスジャック事件の犯人たちですが、

実際にはこの犯人たちは赤軍とは全くの無関係。

 

蓋を開けてみれば、政治的思想とは無関係な

身代金目的の人質事件だったのです。

 

この長崎バスジャック事件の犯人たちが赤軍の名前をつかった背景には、

バスジャック事件のわずか17日前に

バングラデシュ・ダッカで日本赤軍が起こした国際規模のハイジャック事件がありました。

 

そして、警察が犯人射殺という決断に至った経緯にも、

17日前に起こった同じハイジャック事件が大きく関係していたと言われています。

 

長崎バスジャック事件の背景にあった

日本赤軍によるハイジャック事件とはどんな事件だったのでしょうか?

 

また、なぜこのハイジャック事件が

長崎バスジャック事件に大きく影響することになったのでしょうか?

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長崎バスジャック事件犯人が模倣したダッカ日航機ハイジャック事件とは?

長崎ハイジャック事件が起こった17日前の1977年9月28日。

 

フランスのパリシャルル・ド・ゴール空港発

東京国際空港(羽田)行きの日本航空472便が日本赤軍のメンバー5人により

ハイジャックされるという事件が起こりました。

 

スクリーンショット 2016-02-10 18.42.44

出典:NAVER

フランスから5つの国際空港を経由して

羽田に到着するはずだったこの日本航空472便は

3つ目の経由地であるインドのムンバイ国際空港を離陸後、

武装した犯人グループによってハイジャックされ、

バングラデシュのダッカ国際空港に強行着陸。

乗客137人と貴重含む乗務員14人を人質にとり航空機内に立てこもったのです。

 

「日航機、今度は乗っ取り」という見出しで

各誌一面に大きく報じられたこのダッカ日航機ハイジャック事件。

 

「今度は」という見出しがついたのは、

なんとこのハイジャック事件が起きた前日の9月27日に

マレーシアのクアラルンプールで日航機が着陸に失敗、墜落し、

乗員10名乗客69名のうち計34名が犠牲になるという事故が起こっていたためでした。

 

ダッカ国際空港の滑走路で日航機に立てこもった赤軍の犯人グループ5人が

人質の解放の条件として日本政府に要求したものは2つ。

 

当時の為替レートで実に16億円にものぼる身代金と

日本で服役・勾留中の赤軍メンバー9名の釈放だったのです。

 

このハイジャックされた日航機には当時アメリカの大統領だった

ジミー・カーター氏の友人であるアメリカ人銀行家が乗っており、

犯人グループはそのことを知った上でハイジャック、

日本政府が交渉に応じない場合は彼の命から先に奪うと交渉に利用してきました。

 

世界中が見守る中、

当時総理大臣だった福田赳夫総理は身代金約16億円と獄中の赤軍メンバーの解放に応じます。

 

ハイジャック事件発生から3日後の10月1日。

身代金と釈放に応じた6名の赤軍メンバー、

6トンの食料を乗せた日本航空特別機がダッカへ輸送されます。

 

しかし、この決断がのちに諸外国からの非難を呼ぶとともに、

ハイジャック事件が起こったバングラデシュの大規模なクーデターや

長崎バスジャック事件につながっていくとは

この段階では誰も予想していなかったでしょう・・・

 

次ページに続きます!

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