大阪偕星学園 光田悠哉 出身中学や応援歌 500円ユニのヤンキー校1日12時間練習を積み重ね甲子園へ

a0731_000676

第97回全国高校野球選手権大会の注目校のひとつが大阪偕星学園です!

 

大阪偕星学園は、昨年の夏の甲子園の覇者・大阪桐蔭を撃破しての

甲子園初出場校ということで注目が集まっています。

 

今回は大阪偕星学園のエース、光田悠哉投手にスポットを当ててみたいと思います。

 

大阪偕星学園の光田悠哉投手の出身中学校と球歴、球種、

ツイッターで話題の光田悠哉投手オリジナルの応援歌についてまとめてみました。

 

また「リアルルーキーズ」「リアルスクールウォーズ」「雑草集団」

などど呼ばれている大阪偕星学園野球部。

 

資金難のヤンキー野球部が1日最長12時間もの猛練習と節約の末に掴んだ甲子園への道を

大阪偕星学園の山本監督の就任当初の話などを交え、ご紹介したいと思います。

追記:2回戦 九州国際大付戦(9-10)スコア追加しました

【スポンサーリンク】

 

大阪偕星学園 光田悠哉投手の出身中学とシニア時代 和歌山から東大阪へ「進路に迷い野球辞めた」

s-IMG_mituda

画像:海南リトルシニア野球協会HP

大阪偕星学園の光田悠哉投手の出身は和歌山県海南市。

和歌浦湾に面した海沿いの街になります。

 

海南市に本拠地を置く海南リトルシニアで、光田悠哉投手は本格的に野球を始めたようです。

光田悠哉投手は海南リトルシニアの一期生です。

 

他のボーイズチームから移ってきたという情報もありましたので、

海南リトルシニア在籍前に他チームで野球をしていた可能性もありますね。

 

光田悠哉投手のプロフィール上の出身中学が大阪府東大阪市立長瀬中学校になっていることから、

光田悠哉投手が中学3年生のころあたりで転居していると思われます。

 

その後、しばらく野球を辞めていた期間があるという光田悠哉投手。

その理由は進路に迷ってのことだったそうです。

 

長瀬中学校卒業後、大阪偕星学園へ進学しますが、

それは野球をするためではなかったよう。

 

一般入試で合格し、大阪偕星学園に入学します。

入学してからも野球部には入らず、しばらく野球からは離れていたようです。

 

大阪偕星学園に入学してから2ヶ月ほど経ったある日のこと。

光田悠哉投手は改めて野球が好きな自分に気づきます。

 

その後、野球部へと入部し切磋琢磨した結果が甲子園出場という形となって現れました。

 

一旦、野球から離れることが、

光田悠哉投手の自分を見つめ直すいい機会になったようですね。

【スポンサーリンク】

 

野球を辞めた中学時代を経て、大阪偕星学園野球部へ! 光田悠哉投手の球種と成績

 

光田悠哉(みつた ゆうや)

177㎝ 62㎏

左投げ 左打ち

球速 MAX143キロ

 

細身の筋肉質体型である光田悠哉投手ですが、

その左肘を柔らかく使った腕の振りから繰り出される直球は

実際の速さ以上の球速を感じさせる非常に伸びのあるものとなっています。  

 

主に、キレのある直球とスライダーとのコンビネーションで試合をつくり、

カーブやフォークのコントロールにも定評あり。  

 

特筆すべきが光田悠哉投手独特のフォームです。

腕の振り、リリースポイント共にわかりづらい投球フォームであることも、

打者の選球眼を鈍らせ、打ちにくくしている要因のひとつだと思われます。  

 

大阪偕星学園では1年時からベンチ入りし、

2年生の夏から背番号1を獲得し、夏の府大会では全試合に登板しました。  

以下、大阪偕星学園の光田悠哉投手の大会成績です。  

 

地方大会

試合数 5

回数 39 1/3

被安打 39

奪三振 20

与四死球 13

失点 9

防御率 2.06  

 

打数 21

得点 6

安打 9

打点 5

三振 2

四死球 3

犠打 1

失策 1

打率 .429  

 

甲子園 1回戦 対比叡山戦(7-3)

回数 10

被安打 14

奪三振 8

四死球 1

失点 3  

 

打数 3

得点 1

安打 1

打点 0

三振 1

四死球 1

犠打 1  

 

甲子園 2回戦 対九州国際付(9-10)

回数 8 1/3

被安打 10

奪三振 4

四死球 2

失点 10

 

打数 5

得点 0

安打 4

打点 2

 

甲子園防御率 4.92

甲子園打率  .625

 

 

地方大会では「打倒大阪桐蔭」を掲げ、

大阪桐蔭の試合ビデオを100回以上見て、打者を研究。  

 

光田悠哉投手は田淵拓海捕手とバッテリーで相談し、

大阪桐蔭の打者1人1人への配球を練ったそうです。  

 

そして地方大会の大阪桐蔭戦では、

事前に調べ上げた打者の苦手なコースへ丁寧に投げ込み、

大阪桐蔭の強力打線をわずか7安打に抑えることに成功しました。  

 

狙ったところへきちんと投げ込むことのできる制球力もかなりの高水準です。 

 

大阪偕星学園 光田悠哉投手のオリジナル応援歌が「耳から離れない」とツイッターで話題

そんな大阪偕星学園のエース・光田悠哉投手には

オリジナルの応援歌がありました。  

ツイッターで話題になっている大阪偕星学園エースの

光田悠哉投手の応援歌がこちらです!  

確かに脳内リピートしそうなメロディーです。

さすがイケメンエース、みんなから愛されているようですね!

 

大阪偕星学園野球部は「トイレまで監督同行」のヤンキー雑草集団だった!?「大阪一の練習量」積み上げ甲子園へ!

大阪偕星学園は2011年にそれまでの此花学院高等学校から、

学校名を変更した新しい校名です。

 

此花学院高等学校と言えば、地元では高校野球以外で有名な高校でした。

 

大阪偕星学園の現監督、山本皙(せき)監督が赴任してきたのは

2011年4月のこと。

此花学院高等学校時代のことでした。

 

当時の野球部はかなり荒れた状態で、

野球以前の素行面での指導に苦労されたようです。

 

野球の練習をサボる、ゴミを持ち帰らないに始まり、

遠征に行けば、トイレの中まで監視についていかねばならないような状態だったと言います。

 

そのため、トイレ休憩なしでどこにも立ち寄らずに現地まで移動することが

野球部内のルールになっていたほど。

 

また寮生活をする野球部員が寮の規則を破ったときには

7畳の山本監督の部屋で寝ることを義務化し、多いときは5人で雑魚寝することもあったようです。

 

そんななか、

「みんなが根本的には素直でいい子。自分の子どもだと思って接していたら、反発したりしない」

という気持ちで指導を繰り返し、次第に野球部は生まれ変わっていきます。

 

加えて、大阪偕星学園の野球部は他の強豪校のように

資金面で恵まれない点も多く、山本監督が心がけたのが節約。

 

数年前の廃版を安く譲ってもらうなどし、

基本的に野球用具はすべて1000円以下で揃えたそう。

 

上下で500円の練習用ユニフォームに980円のスパイクで

連日のように深夜まで練習を積み重ね、練習量ではどこにも負けない状態に。

 

此花学院高校野球部の府大会ベスト8というこれまでの記録を大きく更新し、

たった4年で甲子園出場に導いた山本監督と、

その指導のもと血の滲むような猛練習を積み重ねた野球部員たち。

「いろんな思いが…。苦労して、苦労して…。感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました」

甲子園出場が決まったときの山本監督の言葉が全てを表していますね。

 

ちなみに甲子園で大阪偕星学園野球部がが着ているユニフォームは

甲子園出場決定のご褒美として、学校から送られたものだそうです。

 

強豪校がひしめく甲子園ですが、

大阪偕星学園、ひょっとしたらひょっとするかもしれませんね。

 

応援したいと思います!
 

【スポンサーリンク】

 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事

コメント

    • YOU
    • 2015年 11月 22日

    光田選手と同級生の者です
    光田選手は中学1年生から
    長瀬中学校に在籍しています。
    お間違えのないように

      • aoi-sea
      • 2015年 11月 24日

      YOUさんコメントいただきありがとうございます!

      海南リトルシニアに在籍、卒団されていることから、
      2年生までは和歌山で過ごされたのだと思ったのですが、
      1年生の時から長瀬中にいらしたのですね。
      失礼いたしました。

      となると光田選手は東大阪から和歌山まで野球をしに通っていたのでしょうか?
      それはそれですごいですね!

  1. この記事へのトラックバックはありません。

カテゴリー

About this site

child-428690_640 日々起こる新しいをいち早くキャッチ、
勢いがあるうちにあなたにお届けするウェーブキャッチ型エンタメウェブマガジン、
それが"Nami Machi"です!!
ページ上部へ戻る